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役割と自我 ~自我の成立と組織における信頼の理念の形成~

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役割と自我 ~自我の成立と組織における信頼の理念の形成~

和田徹也

目次

1. 問題提起  2.組織・地位・役割の定義  3.役割期待と自我の形成  

4.役割期待と拡がりの確証  5.組織における信頼の理念の形成  

6.役割と制度、役割と自由   参考文献

 

1. 問題提起

組織は様々な意思決定を行います。組織が複数の人間から成立している以上、複数の人間の意思がばらばらであることは許されず、組織としての意思決定が必要だからです。組織の意思決定に皆が従う必要があるわけです。この場合、組織の全体に皆が大きな価値を置く必要があります。その価値が意見の相違を吸収して組織を維持するのです。

このような組織は地位役割の体系であると表現することができます。この地位役割は、人々の信頼関係によって成り立っています。人は他者に期待通りの行動を求め、自ら他者の期待する行動を行うのであり、この期待される行動が役割と言われているものです。役割の期待は信頼関係なしには満たされません。この、役割に対する期待を維持する信頼関係があるからこそ組織の全体の価値も維持されていると考えられます。

では、役割関係を支える信頼はどのように生じるのでしょうか。そして、そもそも役割とはどのようなものなのでしょうか。個々の人間、言い換えれば、自我というものは役割とどのような関係にあるのでしょうか。

今回は、役割と自我を考察する、いわゆる役割理論を取り上げて、自我の成立、さらには組織の中の信頼の理念の形成について深く考えて行きたいと思います。

 

2.組織・地位・役割の定義

先程、組織は地位役割の体系と表現できると申し上げました。では、そもそも人間にとって役割とは何か、他者に期待し、他者から期待される行動とは何か、ここから考えて行こうと思います。

まず組織から定義していきましょう。組織とは二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力の体系です(バーナード「経営者の役割」)。組織は人の集合である社会の体系であると認識できるのです。そして、組織は、ある目的を達成するために人々が集合した社会、すなわち目的社会がその目的を達成するために形成されたものだと言えます。

さて、組織という体系には地位が存在します。地位とは特定の諸個人が占める社会体系内の位置を意味し、組織が上下関係を通常有するために地位と表現されるものです。そして、特定の社会的地位には、これに結びつく単一の役割ではなく、相関連する一連の役割があり、それは役割群と表現されます(マートン「社会理論と社会構造」)。

さて、役割という用語はかなり幅の広い意味で用いられています。ある個人の行動における様々な関係に対して広範に共有されている規範を指すことがあり、また、相互作用をしている人々の間の現実の行動の規則性を指すこともあります。

役割とは、理想的であれ現実的であれ、一般的であれ特殊的であれ、一人の人が一人以上の他者と多かれ少なかれ安定した関係に寄与するときに、その人の行動の一貫性を指している、このようにとりあえず定義、表現できると思います(ニューカム・ターナー・コンヴァース「社会心理学」)。

組織の体系を構成する役割という言葉には、このように期待といった主観的要素と、現実の人々の行動といった客観的要素があるわけです。期待と行動、この二つが役割という概念には認められるわけです。

 

3.役割期待と自我の形成

前回の論文「独立した個人と人間存在の全体性」で論じたとおり、人間は物理的存在です。個人という概念、独立した個々の人間という概念は、まず、この人間の物理的存在といった性質から導かれます。

そして、この個々の人間は、生きています。湧き上がってくる生の奔流、生の発現です。これが人間の主体性を形作る根源です。主体性それ自体を表現することは困難ですが、誰もが感じる「拡がり」を考察の原点として表現できると私は考えました。自分が目を開けるとまずは拡がりがあり、対象が飛び込んできて拡がりが意識され、意志を持った主体的な自分も意識される、こういうことです。

さて、この拡がりは常に起点が求められます。世界の中心であるということです。この唯一の起点こそ個人という概念のもう一つの根源です。かけがえのない自分自身すなわち「自我」とは、人間が物理的存在であり、かつ、生の発現としての主体的存在であることから導かれる概念です。

ところが、実は、自我はその二つの要素だけでは完全には形成されません。自我の形成には、どうしても他者が関係するのです。他者と出会うからこそ自我が形成されるのです。このことを詳しく検討してみましょう。

自我という概念には、世界の中心にある主体性という意味だけでなく、理性的な主体としての意味があります。いろいろ見て考え、合理的に様々な社会的活動を行う主体としての自我のことです。理性を持ってこそ自我と言えるわけです。実は、この理性的な自我こそ、拡がりの対象である他者との関係において生じてくると私は考えるのです。

それでは拡がりの対象としての他者とはどのような現れ方をするのでしょうか。

そもそも人間は社会的動物と言われているとおり、常に他者を求めるものです。生まれてすぐの乳児が母親を求めるのは当然の事として、生活上のあらゆる場面で他者を求め、出会っているわけです。このことは否定できない事実です。

この他者は他の拡がりの対象とはきわめて違う大きな特徴があります。それはこちらの働きかけに対して相手が反応するということです。互いの働きかけに対し互いに反応する相互作用があるということです。

この相互作用を表現するには、先程申し上げた役割という概念が極めて重要な働きをします。人は他者に期待通りの行動を求め、自ら他者の期待する行動を行うのであり、この期待し期待される行動が役割というものです。

理性的な自我はこの役割期待から生ずると考えられます。すなわち、生まれてから人は様々な役割関係の中で、他者に役割を期待すると同時に他者からの役割期待に応えてきたわけです。母親と乳児の役割関係、学校での先生生徒の役割関係、そして就職した企業での様々な職務の役割関係、その中で人は他者への役割期待を抱き他者からの役割期待に応えてきたのです。この経験の中から、一般化された他者が生じ、一般化された他者の役割期待に応えて振る舞うようになるわけです(G.H.ミード著「精神・自我・社会」)。

この一般化された他者の役割期待に応じて振る舞うことこそ理性的な振る舞いなのです。すなわち、自我は社会の常識に反することなく理性的に振る舞うことになるわけです。ここで初めて自我は完全に形成されたことになるわけです。

拡がりを出発点として、主体性が表現された世界で唯一の理性的な自我、これを私は「拡がる自我」と呼んだわけです(「拡がる自我」参照)。

 

4.役割期待と拡がりの確証

役割期待に応えるとは何を意味しているのでしょうか、そして一般化された他者の役割期待とはどのようなものなのでしょうか。このことをさらに詳しく考えて行きましょう。

生の発現である拡がる自我は、生きていることを実感し、生きていることの確証を求めようとします。これを私は「拡がりの確証」と表現しました(「拡がりの確証と組織文化の本質」参照)。

食事をはじめとする物質代謝は物への拡がりの確証を意味します。そしてより重要なのが他者への拡がりの確証です。それは他者と言葉の意味を共有することにより成し遂げられます。ここに意味とは言葉に対する主体の把握の仕方のことだと定義できます(時枝誠記「国語学原論」)。個々の拡がる自我は、他者への拡がりの確証のため、言葉と論理を他者に投げかけ続けているのです。

実は、他者への拡がりの確証の論理の設定こそ、自分の役割を定め、他者の役割を期待する関係そのものだと言えるのです。役割関係には言葉の意味の共有が必ず付随しているのではないかと考えられるのです。

そして他者の役割期待に自分が応えること、他者が自分の期待する役割に応えること、このことこそ他者への拡がりの確証の実現であると考えることができるのです。

人間すなわち拡がる自我は生まれてから様々な目的社会に帰属します。この目的社会に所属すること、これは個々の拡がる自我が他者に対する拡がりの確証を求めるためであると考えられます。目的社会が他者への拡がりの確証の論理の設定のためにあるということの意味は、自らの役割を設定すると同時に、他者の役割を期待し、その役割の遂行をもって拡がりの確証を得ることを意味するわけです。

まさに、組織の役割関係は、他者への拡がりの確証のために存在していると言えるのです。

 

5.組織における信頼の理念の形成

組織を構成する個々の拡がる自我は他者からの役割期待に答えなければなりません。なぜなら個々の拡がる自我は自らの拡がりの確証の実現のために組織に所属しているからです。自分が他者からの役割期待に答えなければ、他者が自分の役割期待に応えることが不確実になってしまうのです。

互いに相手の役割期待に応える、ここに信頼といったものの成立根拠があります。他者への拡がりの確証のため、役割期待に応えることが本来は絶対に必要なのです。

しかしながら、他者への拡がりの確証は一方的な性格があります。言葉の意味の共有の期待は必ず実現するとは限りません。当然役割期待も裏切られることがあるわけです。

その理由は、そもそも言葉というものが曖昧だというところにあります。他者への拡がりの確証は他者と言葉の意味を共有することにより実現します。この場合、言葉はより多くの人に向けられることになるため、どうしても言葉の意味は誰もが注目できるように曖昧になります。拡がりの確証のための意味の共有が優先されるからです。したがって言葉の意味に対する誤解が常に生じてしまうのです。

このように、他者への拡がりの確証が一方的な性質を有する以上、どうしても、組織には誰もが納得する信頼の理念といったものが必要となります。ではその信頼の理念とはどのようなものなのでしょうか。誰もが納得する理念とはどのようなものなのでしょうか。

それは絶対に否定することのできない事実を根拠とする理念であることです。その代表的な例が血縁です。一定の宗教を固く信じている地域であれば、絶対的な神といったことも想定されますが、どの地域でも認められる血縁がやはり重要だと考えられます。この血縁を根拠に信頼の理念を打ち立てるのです。

例えば、親子の関係といった血のつながりは否定できません。ここに子は親を敬うといった理念が生じるわけです。この理念に従って、親は親の役割、子は子の役割を担うわけです。そして親は親の役割が期待され、子は子の役割が期待されるわけです。

この役割のための理念は、孝行という言葉で表現されてきました。この言葉によって役割に対する信頼の理念は維持されてきたわけです。

この孝行といった理念は家族に適合するだけではありません。忠孝といった言葉に代表されるように、様々な組織にも適用されるのです。

日本の民間企業の秩序は、もちろんその全てではないにしても、この忠孝という理念によっても維持されている側面があると思います。年功序列といった秩序の存在、従業員が経営者の指示に従う、ここにもこの忠孝といった理念が認められると考えられるのです。その理念に基づく信頼関係の中で企業の秩序が維持されているのです。

 

6.役割と制度、役割と自由

役割は個々の拡がる自我が他者へ拡がりの確証を得るために生じるものです。先程申しあげたとおり、役割期待によって自我は完成するわけですが、あくまでも出発点は個々の拡がりにあります。そして個々の拡がる自我の他者への拡がりの確証のために信頼の理念が形成され、秩序が維持されているわけです。

ところで、その信頼の秩序は、制度としても成り立っています。制度とは、社会生活における各種の目的に応じてその実現のために役立つ行為の型が、社会規範によって提示されて組み合わされる仕組み、このように定義できるでしょう(加藤新平「法哲学概論」)。個々の行為は既存の役割関係に基づくものですが、それが外面的な社会規範として設定されたのが制度なのです。

例えば、企業の秩序を維持する所有権制度、あるいは家族制度等、多くの制度によって社会は成り立っているわけです。これらの制度は役割に対する信頼を担保するものであると言えます。拡がる自我の拡がりの確証、そのための役割期待、これらを制度として打ち立てることにより、信頼を確保し、個々の拡がる自我の拡がりの確証を実現するのです。

さて、個人は通常既存の制度の中に生まれてきます。理論的出発点は個人すなわち個々の拡がる自我であっても、個人が制度の中に生まれてくる以上、その制度に基づいて役割が形成されることになるわけです。したがって、自我も既存の役割関係、既存の制度に基づいてまずは形成されることになります。

このことを重視すると、人間各個人は、それ自身で独立に存在しているのではなく、人称を備えた一定の共同世界的な役割という様式で存在しているにすぎないとの発想も生まれてきます(宇都宮芳明「人間の間と倫理」)。よく聞くのが演劇の例です。舞台の上では役者であっても舞台を降りれば素顔の自分に戻るといったことを引き合いに出して、もし人生の全てが舞台であれば男も女も全て役者であって舞台から降りることも考えられないので役割を演じている自分しか存在しないとの理屈です。

しかしながらこの発想は、客観的存在からのみ人間を把握しようとするものだと思います。先程申し上げたとおり、役割という言葉には主観的側面と客観的側面があります。この発想は、役割の客観的側面のみ着目して人間の自由意志を否定してしまう思考法だと私は思います。

人間に自由意志があることは否定できません。その自由意志に基づいて、拡がる自我は常に新たな拡がりの確証を求めるのであって、その際は自由意思に基づく新たな役割が生じているのです。このように拡がる自我には既存の制度を乗り越える性格が絶対的にあるのです。そこにこそ社会が発展変化していく動因があるのです。

既存の制度に基づく信頼の理念を根拠に、新たな他者への拡がりの確証のための論理を設定し、新たな役割を期待し期待されようとするのが人間すなわち拡がる自我です。そして、その新たな論理を他者へ投げかけてその意味を共有し、役割期待を共有して他者への拡がりを確証するのです。新たな役割の創出こそ自由の本質です。常に新たな役割を創出し続けて行くのが人間なのです。

 

参考文献

G・H・ミード(稲葉三千男他訳)「精神・自我・社会」青木書店

ニューカム・ターナー・コンヴァース(古畑和孝訳)「社会心理学」岩波書店

M・ハイデッガー(細谷貞雄訳)「存在と時間」理想社

C・I・バーナード(山本安次郎他訳)「新訳経営者の役割」ダイヤモンド社

R.K.マートン(森東吾他訳)「社会理論と社会構造」みすず書房

R.M.マッキーバー(中久郎他訳)「コミュニティ」ミネルヴァ書房

加藤新平「法哲学概論」有斐閣

恒藤恭「法の本質」岩波書店

時枝誠記「国語学原論」岩波書店

宇都宮芳明「人間の間と倫理」以文社

船津衛「自我の社会理論」恒星社厚生閣

魚津郁夫「プラグマティズムの思想」筑摩書房

和辻哲郎「倫理学」「人間の学としての倫理学」岩波書店

高山岩男「哲学的人間学」玉川大学出版部

 

(2022年9月公表)

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