個々の人間にとって社会と組織はどのような意味を持つか。和田徹也のホームページです。

労働者保護立法の本質 ~分割と創造の論理の視点から~

  • HOME »
  • 労働者保護立法の本質 ~分割と創造の論理の視点から~
(Youube解説講座)

労働者保護立法の本質 ~分割と創造の論理の視点から~

和田徹也

目次

1.問題提起  2.分割の論理と創造の論理  3.日本の労働者保護立法の歴史  

4.社会政策について  5.ドイツの社会政策の理論対立  6.日本における社会政策の本質論争

7.物による支配と分割・創造の論理  8.労働者保護立法の本質

参考文献

 

1.問題提起

現在、労働基準法をはじめとする労働者保護を目的とする法律が、多数制定されています。これらの法律は、どのような経緯で、どのような立法趣旨に基づいて制定されたのでしょうか。労働法の実務を担っている社会保険労務士にとって、このことは非常に重要な意味をもっていると思います。

なぜなら、実務上の法律の解釈は、複雑な現実の様々な問題を解決しながら行われるのであり、その際は、その規定の立法趣旨に遡って考えて行く必要があるからです。この場合、立法趣旨を理解するには、法律の制定過程を把握することが不可欠です。

そこで今回は、分割の論理と創造の論理といった、自分独自の哲学的な視点から、労働法制定の歴史的経緯について、考えてみたいと思います。哲学的に検討することにより、労働法解釈の新たな視点を提案したいと考えたわけです。

具体的には、戦前戦後の社会政策理論を、分割の論理と創造の論理といった二つの論理の軸からなる独自の哲学理論から検討し、現行法制の立法趣旨を自分なりに考え、労働者保護立法の本質をとらえていきたいと思います。

 

2.分割の論理と創造の論理

人間は主体的な存在です。誰もが他者に対し、言葉と論理を投げかけて、意味を共有しようとします。私はこの主体としての個人を「拡がる自我」と表現しました(「拡がる自我」)。そして、拡がる自我が他者と意味を共有すること、これを「拡がりの確証」と表現したわけです(「拡がりの確証と組織文化の本質」)。

言うまでもなく、他者に投げかける言葉は無限に存在します。そしてその言葉と言葉をつなぐ論理、言い換えれば、考え方の筋道である論理も言葉と同様無限にあります。そして、人間すなわち拡がる自我は、様々な社会に所属しながら生きています。所属する社会の中で、様々な言葉と論理を他者に投げかけているのが私達人間、すなわち拡がる自我です。

ところで、個々の拡がる自我が、他者に投げかける論理は大きく二つに分かれるのではないか、このように私は考えたいのです。分割の論理と創造の論理です(「分割の論理と創造の論理」)。

分割の論理は、組織の全体の価値を前提とするものです。人間は歴史上様々な目的社会を作り上げてきました。この目的社会は目的を実現するため組織化されます。この場合、組織を維持するには、その構成員が組織それ自体に大きな価値を置くことが必要となるのです。ここに価値とは、誰もが求めるものであって、比較がその本質となるものを言います。

組織を維持するには、組織の構成員が組織全体に大きな価値を置き、組織を逸脱しようとする誘惑や衝動を乗り越えなければなりません。組織を逸脱する価値よりも組織に従属している価値が大きければ、組織は維持されていくわけです。これが、組織の全体の価値です。

分割の論理は、この、組織の全体の価値を前提とし、全体の中で自分がどのような地位にあるかによって論理を構成するものです。価値は比較がその本質にある以上、必然的に上下の差異を生みます。全体の価値に基づく上下関係の中で、どの地位に自分がいるのか、自分がいる地位の価値によって他者の注目を集めるのが分割の論理です。端的に言えば、出発点の全体の価値を分割して、その価値の一部を自己のものとし、他者の注目を集めるのが分割の論理なのです。

これに対し、創造の論理は、個々の人間を出発点とし、個々の行為を重視するものです。出発点の価値はゼロです。個々の人間が何を創造したか、言い換えれば、どのような価値を創造したかを論理の内容とし、創造する行為それ自体、あるいは行為の結果によって他者の注目を集める論理です。

創造の論理の代表は、価値の創造、すなわち生産活動です。現代の資本主義社会では、人間の生産活動は、商品の創造といった形態をとります。商品の価値こそ創造の論理の典型となるわけです(「価値とは何だろう」)。

商品を現実に生産する労働は様々な困難を伴います。この労働に伴う様々な困難を乗り越えるためのより高い価値、この労働の価値の結晶が商品の価値なのです。この商品の価値によって他者の注目を集めるのが、創造の論理なわけです。

 

3.日本の労働者保護立法の歴史

ここで、とりあえず、日本の労働者保護立法の歴史を概観したいと思います。

労働基準法は戦後の1947年、労働組合法は1945年に制定され、現在の労働組合法は1949年に改めて制定されたものです。

戦後すぐに労働者保護立法が成立したのですが、GHQの指示があったにしても、法律の細かな内容については戦前の労働法制の学問的な研究の成果を基に制定されていると考えられます。そこで、戦前の労働者保護立法を検討したいと思います。

戦前に制定された法律の代表は工場法です。工場法は、制定の検討が始まってから30年も経った1911年に公布され、1916年に施行された法律です。

工場法は、当時の劣悪な労働条件、例えば長時間労働、不衛生な環境、危険な作業等を防止する内容でした。当時の工場の過酷な労働環境は、多くの資料により指摘されており、当時多くの人がその改善を求めていたようです。

また、戦前には社会保険立法もなされています。これは一部の労働者の待遇改善ではなく、労働者全般の経済的地位の向上を目指したものです。

先程申し上げた労働組合法は、戦後のGHQの指令により制定されたものですが、これは、西欧の社会政策理論に基づいたものと考えられるのではないかと思います。労働組合といったものを重視する発想、これは西欧の思想の歴史的変遷を基に形成されたからです。その代表がドイツの社会政策理論です。日本はこのドイツの理論を取り入れたという歴史的経緯があります。そこで次に社会政策というものを検討したいと思います。

 

4.社会政策について

「社会政策」は、文字通り読めば、社会に存在する様々な問題を解決する政策を研究する学問だと思われるのですが、日本では、主に労働問題を扱う学問として研究が積み重ねられてきました。まさに、今回のテーマである労働者保護立法政策を担う学問だったわけです。

「社会政策」はドイツ語のSozialpolitikの訳語で、ドイツ産業革命後の社会的弱者救済の政策理論を研究する学問を意味するものでした。激しい階級対立、階級闘争を緩和させ、国民の経済生活の分配的正義を実現することを目指すものでした(岸本英太郎編「社会政策入門」3頁)。

日本ではこのドイツの社会政策理論が取り入れられ、様々な理論的対立を経て、戦後の労働者保護立法に結びついたと考えられるわけです。したがって、この理論的変遷を検討することは極めて大きな意味があると考えられるわけです。

さて、先程触れた戦前の労働立法である工場法は、原生的労働関係を克服することを目的とすると解されています。原生的労働関係とは、資本主義成立以前の産業革命時期とその直後の共同体的・身分的な秩序に基づく労働関係で、長時間労働、低賃金など非人間的な過酷な労働環境を表現する概念です。原生的労働関係は誰もが克服すべきと考え、それは社会的正義の実現とされたのでした。

そして資本主義が発展し、原生的労働関係が是正されてくると、社会政策も変化してきます。具体的には、労働者階級が、団結し、社会的影響力を持つようになり、その事実をどのように取り入れるかということです。また、労働力は商品であるといった、資本主義特有の思考が一般化し、その資本主義経済の中で、労働力の需給の調整や、雇用契約の適正化などの環境整備が必要となっていったわけです。

この、成熟した資本主義の中で、社会政策はどうあるべきかが大きな問題となってきたのです。後で論ずるとおり日本では大きく二つの理論的立場に分かれました。そこで次にこの二つの理論の源流となったドイツの社会政策について検討してみたいと思います。

 

5.ドイツの社会政策の理論対立

ドイツの社会政策理論は、その基本的考えの相違から、大きく二つに分かれます(大河内「社会政策の経済理論」227頁以下)。

一つは、社会政策は資本主義での経済発展を推し進めるための経済政策であるといった考えで、労働者を保護するのは資本主義経済を維持発展させるためとするものです。これは階級協調論と名付けることができるとされています。

一つは、社会政策は階級闘争の所産とする考え方であり、資本主義社会の中の問題を解決しながら最終的には社会主義に移行する過程と考えるものです。こちらは階級非協調論と表現することができます。

ドイツにおいても産業革命によって、様々な労働問題が出ましたが、その結果社会主義思想が盛んになり、マルクスの資本論に結集する資本主義分析を根拠に、階級闘争を行おうとする気風が生じました。社会主義を成立させようとする運動が強く起こったわけです。社会政策論もこの流れに応じて大きく二つに分かれました。階級協調論は資本主義を維持しようとする立場であり、階級非協調論は最終的には社会主義を目指そうとするものであるわけです。

ソ連崩壊を経験した現在では、階級協調論が優勢となるでしょうが、昔はもちろんそうではありません。社会主義を目指す人々も現実社会に大勢いたわけです。逆にこの両派の論争から様々な理論、労働法の理論が導き出されたのではないか、日本の労働法も大きく影響を受けたのではないか、このように私には思われるのです。

さて、階級協調論は、元々は、先程申し上げた、原生的労働関係より生じた悲惨な状況を社会的正義によって是正することから始まったものです。そして、原生的労働関係が是正され、労働者階級が労働組合を結成し、社会的影響力を持ち、政治的な活動をするようになると、社会政策という学問も資本主義を維持するかあるいは社会主義を目指すかによってその基本的立場が分かれたのです。

階級協調論は今申しあげたとおり、古くからあるものですが、社会政策は分配政策であるといった基本的立場から出発するものです。資本主義はどうしても経済的格差が生じてしまいます。その弊害をなくすため、中立的な国家が、自然法あるいは社会的正義に基づき全体利益を分配して資本主義を維持するといった考えです。

階級非協調論は、労働者階級が力をもった第一次世界大戦後に勢力を増したものです。根本的立場において資本主義経済が終局的には維持し得ないことを前提に、成長しつつある階級である労働者階級の利害を重んじた生産性の向上を図る経済政策とし(大河内「社会政策と経済理論」300頁)、あるいは、資本主義社会における労働者階級の人格の物化に対する反抗であり自由と労働の尊厳への志向であるとする社会的理念の沈殿物であるとするものでした(大河内「社会政策と経済理論」305頁)。

このドイツの社会政策理論に基づく制度は、第一次大戦後のベルサイユ条約で、大きく生かされ、ILO(国際労働機関)が誕生したわけです。

 

6.日本における社会政策の本質論争

それでは日本の社会政策理論について考えてみましょう。日本の社会政策理論は、大河内理論と言われるものと、それへの反対説とに分類されるのが一般的です。戦前から戦後しばらくの時期、両者は激しい論争を続けました。

大河内理論とは、社会政策はその本質において労働者保護法ではなく、国民経済全体の立場、すなわち総資本の立場から労働力の濫用を抑制し、資本が必要とする質と量の労働力を確保しようとする政策、経済的合理性に基づく労働力保善政策であるとするものです。社会政策は資本制経済に対立するものではなく、資本制経済法則の貫徹としてとらえるべきとするわけです(隅谷三喜男「労働経済論」235頁)。

これに反対する見解は、社会政策を資本制蓄積の一般法則(窮乏化法則)に起因する社会的対抗、階級対立と階級闘争の発展に対して、これを資本家階級のために調整し、剰余価値の生産の攪乱を安定化させるために、国家の行う資本家の労働力収奪に対する抑制・緩和策とするものです(隅谷三喜男「労働経済論」239頁、岸本英太郎編「社会政策入門」9頁))。

大河内理論が労働力といったものを重視したのに対し、反対説は、労働者の人格、主体性といったものを重んじているような印象を受けます。これはドイツの階級協調論と階級対立論の理論的差異に似ている気がするのです。

また、大河内理論は、社会政策が単なる分配政策であるといった考えに反対します(「社会政策総論」85頁)。資本制経済の中で労働力をいかに引き出し、経済をいかに発展させるか、この生産政策こそが社会政策だというわけです。

一方、反対説は分配理論を重視しているような気がします。階級対立を強調する場合は、資本の労働力の収奪に対して分配といった政治的力がどうしても必要だからです。

先程申し上げた原生的労働関係は、資本主義が完全に成立する以前のもので、非資本主義的、身分的な支配関係に基づき労働させたために悲惨な状態が生まれたわけです。したがって、人道主義的視点から労働者の保護が必要になるわけで、当事者は別として、これを否定する人間はいないと考えられます。

この原生的労働関係が解消した後で、資本主義の発達により労働力の商品化が確立され、経済政策としての労働政策が可能となり社会政策が実現するわけですが、ここで理論的対立が生じてくるのではないかと思うのです。なぜなら労働者の政治的発言が強くなったからです。

実は、ここに分割の論理と創造の論理が大きくかかわってくるのではないかと私は考えているのです。論争では、社会政策の主体をどのように考えるのか、社会政策の目的は何か、こういった議論がなされているのですが、この抽象的な議論はまさに、私の言う分割と創造の二つの論理の対立に基づくものなのです。

例えば、社会政策の主体は何かといった問題については、社会政策が経済社会に対する政策である以上、産業社会全体がその主体であるとまず考えることができます。では産業社会全体の政策決定の主体はどう考えればよいか、このことは、言い換えれば、資本主義社会である以上、総資本の意思決定の主体は誰か、こういう問題となってきます。

この点につき、総資本の意思決定について、労働者に意思決定の権限を分割しろと言うのはまさに分割の論理を前提とするものだと考えられるのです。なぜなら、既存の所有権秩序といった身分に基づく事業主の権限を分割するということにつながる考えだからです。

どういうことかと言うと、総資本といった概念は、既存の所有権秩序を前提とした事業主を主体としたもので、創造の論理に基づくと考えられるということなのです。なぜなら、資本とは商品の価値の集合と考えられるのであり、商品の価値は創造の論理の典型だからです。

資本は創造の論理に基づくものであり、したがって、総資本の意思決定の役割を果たす地位も、創造の論理に基づき決定されるべきなのです。ここに分割の論理を持ち込むのは望ましくない、このように私は考えるわけです。

 

7.物による支配と分割・創造の論理

さて、以前、私は「価値と反価値 ~人間の差異と秩序~」という論文で、物による支配といった概念を打ち立てました。人間は本質的に人間に支配されたくない、したがって物に支配されざるを得ない存在である、こういった理論です。

個々の人間すなわち拡がる自我は、他者へ拡がりの確証を求めますが、ここではどうしても争いが生じます。なぜなら本質的に曖昧な言葉の意味の共有を実現しようとするとどうしても齟齬が生じ、争いが生じてしまうからです。

この人と人との争いを前提とすると、組織の中の上下関係が、支配関係に転化してしまうのです。支配という言葉は被支配者の反発を前提とする言葉です。人間は誰もが対等の人間には支配されたくないのです。これは人間の本性です。

そこで人間ではなく物に支配されるとして正当化するわけです。人間は物による支配を求めているのです。物による支配が確立しなければ、争いは継続し、混乱が生じ、個々の人間すなわち拡がる自我は、拡がりの確証が実現できません。

実は、法律は、物による支配を実現するものであり、物による支配の一形態であると言えるのです。現実の社会は、法律により様々な制度から成り立っているのですが、この制度は、物による支配の制度化でもあると言えるのです。

このように、人間社会は物による支配が必然的に表れるのですが、物による支配の「物」の性格を考える際、まさに、分割の論理と創造の論理の二つの方向が考えられるわけです。分割の論理は身分制度であり、創造の論理は労働の成果としての商品であるわけです。

身分制度は対等な人格を覆い隠し、差異がある象徴的な物、武士とか貴族とかといった身分を表明する目に見える物、様々な装飾、偶像崇拝等がその例として考えられます。

商品はまさに商品という物ですが、価格によって表現されると、財としての物ではないサービスも、物として表現されてきます。その一つが労働力です。商品としての労働力の売買は支配関係を覆い隠す機能があるのです。

労働力の商品化は、この物による支配が確立されて初めて実現するものです。まさに、商品としての労働力は物による支配の典型なのです。商品とは人間が作り上げたものです。人格を売り渡すのではなく、労働力という物を売る、こういうことです。

 

8.労働者保護立法の本質

では以上論じたことを前提に、労働者保護立法の本質を考えて行くことにしましょう。

先程から申し上げている通り、労働者保護立法には、三つの理念が混在しています。①原生的労働関係に起因する劣悪な労働環境を是正する社会的正義としての理念、②労働力商品を活用し経済の成長を実現させようとする理念、③資本主義経済の中で労働者階級の団体すなわち労働組合と調和していくための理念、です。

まず、①の原生的労働関係に基づく労働者の悲惨な状態を防止するための規定は、労働契約の期間制限、前借金の禁止、労働時間の制限、等として規定されています。

原生的労働関係に起因する劣悪な労働環境の防止については、誰もが必要と考え、意見の対立もないでしょう。ただ、総資本の立場からはそのように言えるのですが、個別資本の立場からは、そう簡単なことではありません。現代においても、実際、いわゆるブラック企業に代表されるように、労働基準法の規定を全く無視する企業もあるからです。毎月150時間以上残業する会社も現実にはあるのです。世の中にはいろいろな人がいて、そういう過酷な世界が好きな人もいるのです。資本主義社会における競争はこういった過酷な労働環境を常に引き起こす危険があることは否定できません。したがって、第一の理念は決して忘れてはならないのです。

②労働力商品を活用し経済の成長を実現させようとする理念の具体例としては、労働時間、休憩、休日等を強制し、個別資本の濫用から労働力を保護する規定が挙げられます。この理念は、現在最も重要視されるべきものでしょう。なぜならこれは創造の論理を発揮させるための、基盤整備、条件整備といった性格が強いからです。

創造の論理は、先程申し上げた、物による支配を前提とします。創造の論理は個々の人間の平等、自由な行為これらを前提とします。なぜなら創造とはゼロからの出発であり、ここに差異があると創造の論理を正当に評価することができないからです。

労働時間の規制は、劣悪な労働環境の是正というだけではなく、労働力の活用、生産政策のためにも必要であると考えるべきなのです。働く時刻が明確に定められ、休日も与えられれば、労働者は労働にベストを尽くすことができるわけです。これらは各個人が創造の論理をいかに実現するか、そのための基盤整備なのです。

③資本主義経済の中で労働者階級の団体すなわち労働組合と調和していくための理念はどのように考えて行くべきでしょうか。

労働者階級が単なる生産要素としての労働力であるだけではなく、自己の社会的地位を自覚し労働者組織を築いた後は資本に対する闘争者として現れてきます。この場合、資本はこの労働者組織を容認し、秩序に取り込もうとします(大河内一男「社会政策総論」90頁)。

これは、労働力を活用する生産政策であり、私なりに言い換えれば、創造の論理による生産力を増大させるための基盤整備のために労働組合は活用すべきであるということです。

資本とは、創造の論理の典型である商品の価値が集積したものだと考えられます。したがって、経営は資本の担い手が行うべきであり、資本の担い手は、創造の論理の実績を評価された者が担うべき、それこそが経済の発展を担保する、このように思うのです。分割の論理に基づく経営参加は、あくまで生産力の向上といった、創造の論理に有用であるという観点からのみ認めるべきではないか、こういうことです。

もちろん、個別資本の特定労働者に対する収奪の予防に労働組合は大きな働きをしたことは事実でしょう。ただ、現在は労働組合の組織率は極めて低くなっている点からも、これは労働政策の一環として労働基準監督署が実施すればよいのではないかと思うのです。

また、賃金その他様々な労働条件については、特に多人数から構成される企業においては、経営者が一方的に決定するのではなく労使の合意とした方が、妥当な結果となる場合が多いと思われます。労働条件は創造の論理の基盤であり、労使の合意は誰もが納得すべき性格があるからです。

以上、労働者保護立法について論じてきました。組織は全体の価値が無ければ存続できず、したがって、組織の中のより高い地位を根拠とする分割の論理は誰もがその実現を目指すものとならざるを得ません。しかし、生産を担う組織の発展は創造の論理に基づく必要があるわけです。分割の論理は既存の価値を分割するものだからです。

具体的に言えば、労働力をいかに成長させるかといった視点、個々の労働者の創造の論理の設定を援助する視点から、労働者保護立法は実現されるべきと私は考えます。創造の論理の実現こそ労働者保護立法の本質なのです。

 

参考文献

大河内一男「社会政策の経済理論」日本評論新社

     「社会政策の基本問題」「現代経済学演習講座 社会政策」青林書院新社

     「社会政策(総論)(各論)」有斐閣

岸本英太郎他「社会政策入門」有斐閣

隅谷三喜男「労働経済論」筑摩書房

沼田稲次郎「労働法論序説」勁草書房

久留間鮫造「価値形態論と交換過程論」岩波書店

カール・マルクス(岡崎次郎訳)「資本論」大月書店

ルカーチ(城塚登他訳)「歴史と階級意識」白水社

水田洋「近代人の形成」東京大学出版会

大塚久雄「近代欧州経済史序説」

菅野和夫「労働法」弘文堂

濱口桂一郎「日本の労働法政策」労働政策研究・研修機構

 

(2022年5月公表)

PAGETOP
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.