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認識について(″拡がりの確証”再考)

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認識について(“拡がりの確証”再考)

 和田徹也

目次

1.感覚と認識   2.認識の対象に求めるもの   3.言葉と認識   4.認識と真理

5.“何が問題か”が重要

  

1.感覚と認識

認識とは、何らかの対象を光とか音を感知することにより成立するものである、とまずは考えられるのではないでしょうか。すなわち、外に実在する何ものかを感覚により知ることが認識であるというわけです。

もちろん、感覚で対象をとらえなければ認識は成立しませんが、認識は、単なる感覚とは異なるのではないでしょうか。認識という言葉には、感覚よりいっそう強い主体性が感じられるのです。

さて、哲学者のカントは、何らかの仕方で触発されることで表象を受け取る心の受容性を感性と呼び、逆に表象そのものを生み出す能力、認識の自発性を悟性と呼びました(カント「純粋理性批判」宇都宮芳明他訳114頁)。感性的な直観の対象を、思考する能力が悟性です。感性がなければ私達にはどんな対象も与えられないですし、悟性がなければ、何一つ思考されません。直観として対象を与える感性と、与えられた対象を思考する悟性、この両者が一体にならなければ認識は成立しないというわけです。

認識という言葉には、このように主体性、すなわち積極的に何かを得ようとする側面があるのです。感覚は受動的なイメージが強いですが、認識には、形成するという積極的なイメージがあるのです。  

2.認識の対象に求めるもの

個々の主体の外に拡がる認識作用、受容性だけではない認識の積極性、私は、そこに拡がる自我なるものを見出し、拡がりの確証といった概念を確立してきました(「拡がる自我」「拡がりの確証」を参照)。拡がる自我は、認識の対象に意味を見出すことにより拡がりを確証するのです。

では、拡がる自我は認識の対象に、具体的には何を求めようとするのでしょうか。どのような意味を求めることにより、拡がりの確証に結びつけていくのでしょうか。

普通に考えれば、まずその対象となるものに、食べるものとか温かい布団とか、要は、生きるための手段、道具的なものを求めるのだと言えるでしょう。人は生きるための手段、道具を認識の対象に見出そうとするということです。

このことは否定できない事実でしょう。人間が生きていく上で必ずこのことは認められるはずです。生きていくための道具、生きる上で何がどのように役立つかを把握しようとするわけです。認識の対象に道具としての意味を見出すわけです。そして、道具は身体の延長としてその外部に拡がるものであり、対象を道具として認識することが拡がりの確証となることは間違いないでしょう。

しかし、もうひとつ拡がる自我が対象に求める意味で重要なものがあります。生きるための手段ではなく目的を見出すということです。生きる意欲、情動、これらを包摂する意味を対象に与えるのです。

「分かる」という言葉があります。ものごとを理解したということです。これは対象を分割し、意味を付与したことなのではないでしょうか。言うまでもなく、上に述べた生きるための道具も一つの意味でしょう。しかし、対象に見出す意味はそれだけではないのです。生きる目的もあるのです。生きる意味を対象に見出すのです。分かることはすなわち認識することであり、それは拡がりの確証でもあるのです。

ところで、意味は言葉によって表されます。このことは対象に普遍的意味を求めるということにつながります。普遍的意味とは他者を意識した概念です。他者と共有する意味をもつ言葉を認識の対象に投げ込むのです。言葉を対象に投げ込み、対象を分割し、意味を付与する、これがものを認識するということ、ものに対する拡がりの確証なのです。  

3.言葉と認識

人は意味を表明するために様々な言葉を用います。すなわち、対象に意味を付与するときには必ず言葉を使うということです。そして言葉は、本来、他者への拡がりの確証のためにあるものです(「言葉とは何だろう」参照)。このことは、認識が、他者への拡がりの確証と密接不可分であることを意味します。すなわち、ものを認識するということは、常に他者への拡がりの確証のための論理を形成することにもなるのです。

例えば、真、善、美という言葉、これは認識の対象に付与する代表的な言葉です。それと同時に、他者に投げかける論理としても代表的な概念です。他者に対する拡がりの確証、ものに対する拡がりの確証、双方に共通する論理となる言葉です。

もちろん、ものの認識の際、常に他者への拡がりの確証のための論理を意識しているわけではないでしょう。しかし、ものを認識しようとする時、他者に向けた論理を意識する場合があることも否定できません。そして、意識する、しないは別にして、実は、ものを認識することは、そこに言葉が介在する以上、他者への拡がりの確証の論理を基に行わざるを得ないものなのです。逆に言えば、他者への拡がりの確証を得るがための論理を探し、形成することが認識のもつ一面なのです。  

4.認識と真理

以前、私はある一つの言葉には確固たるただ一つの意味は無く、そもそも言葉は曖昧なものであり、それは多くの他者を言葉に集めるためだと申し上げました(「言葉とは何だろう」参照)。言葉は無数に存在する拡がる自我、個々の主体が他者への拡がりの確証を得ようとするところに存在するものであり、多数の他者を集めるべく曖昧なもの、象徴的なものなのです。

では、言葉で多数の他者を集めた後はどうするのでしょうか。この時、さらに他者への拡がりの確証を求めていくことになるのです。ある言葉に多くの拡がる自我が集中する、ところがそこに他の言葉が入り、論理が生じると、真か偽かの問題が必然的に生じるのです。認識とは判断である、との考えの登場です。判断とは、真偽がつけられる主語と述語からなる言語表現です。拡がる自我は、言葉と言葉の論理を基に、自分の主張、判断が正しいことを主張していくのです。これが認識における正誤の問題、真理の問題です。正しい認識、誤った認識、この二つをめぐって、争いが始まるのです。誇張的に言えば、この真理をめぐる争いが、様々な人間の歴史を形作ってきたとも言えるのです。

このように、拡がる自我は他者への拡がりの確証を得るため、論理を設定し、問題として他者へ投げかけます。この論理は、認識に基づいたものであり、真偽を判断することができる命題です。真偽の判断の一致により、他者と意味を共有し、拡がりの確証を得るわけです。

ここには二つの段階が認められます。まず一つは、対象となる判断に他者が注目すること、興味を持つことです。ここでは言葉の曖昧性が大きな働きをします。投げかけた問題に他者が興味を持つということです。

もう一つは、真偽の判断で他者の納得を得ることです。真理とは何かという問題ですが、要は他者をいかに説得できるかということになってくると思います。

真理の議論を見ると、後者の真偽の判断、すなわち何が真理かということが問題の中心になると思われます。ただ、私は前者の問題提起、すなわち、人々がどのような判断に注目するかも、社会と組織の哲学では重要ではないかと思うのです。  

5.“何が問題か”が重要

拡がりの確証を前提に考えると、社会、組織の中で人々が何に注目するか、言い換えれば、何が検討すべき問題かをはっきりさせることは意外と複雑な構造となっています。なぜならば、上に申し上げたとおり、問題とは、拡がる自我が、他者に拡がりの確証を得るために必要とするものであると考えられるからです。

仮に、ある組織での問題を考えてみましょう。組織が成り立っている以上、組織の明確な目標はまず存在しているはずです。明確な目標に関連して解決すべき問題が生ずることも不可避でしょう。その問題をどのように提起するか、ここが重要なのです。

実は、この場合に個々の人間がまず行おうとすること、認識しようとするのは、生きる目的を対象の中に見出すということ、拡がりの確証を得ることなのです。何が問題かは、それぞれの拡がる自我の拡がりの確証のための理念の性格によって大きく左右されてしまうのです。

例えば、新たなものを創り出すという理念と、逆に、既存のものを分割する理念が対立して存在しています。また、原因結果という因果関係を重んずる理念と、反対に、自由を重んずる理念も対立しています。このように、組織での問題解決一つとってみても、対照的な理念が常に存在しているのです。理念はこの場合パラダイムと言ってもよいかもしれません。どの理念を前提に問題構成するかが非常に重要なことになってくるわけです。

組織を構成する個々人、言い換えれば、拡がる自我は、自分が信ずる理念を前提に認識し、問題構成をし、真偽の判断を行い、他者と意味を共有することにより、拡がりの確証を得るわけです。したがって、問題提起の本質を見抜くこと、問題提起の根底にある理念を明らかにすることが組織の責任者にとって重要になってくるのです。

哲学は思考の前提を取り払って考えようとするものです。「社会と組織の哲学」も当然それを目指しています。以上述べてきたことの具体例は、今後、別途詳しく論じて行きたいと思っています。

参考文献

 I.カント(宇都宮芳明他訳) 「純粋理性批判」 以文社

岩崎武雄 「カント」 勁草書房

岩崎武雄 「真理論」著作集第8巻所収  新地書房

高坂正顕 「カント学派」 弘文堂

大森荘蔵 「言語・知覚・世界」 岩波書店

廣松渉 「世界の共同主観的存在構造」 勁草書房

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