言葉と論理を活用した実践的労務管理
和田徹也
はじめに
このホームページ「社会と組織の哲学」におきまして、社会と組織に関する基礎理論について論文を発表しておりますが、今回は、今まで発表した基礎理論と、実際の労務管理の実務をいかに結びつけるかという観点から、言葉と論理を活用した実践的な労務管理の手法と題して論じたいと思います。
具体例として、現在中小企業にとって大変な事態となっている人手不足問題の対応策について、言葉と論理の基本理論を踏まえた上で、具体的な諸制度を活用した労務管理の手法について論じていきたいと思います。
この論文の元となったのは、令和元年5月に私が講師を務めた、東京都社会保険労務士会練馬支部と東京商工会議所練馬支部の二つのセミナーでの講演です。
前半(第1部)は、言葉と論理の基本理論を論じて「分割の論理」と「創造の論理」という二つの分析概念を提案します。後半(第2部)は、この二つの概念を基礎にした具体的な実践的労務管理手法を提案します。
第1部 言葉と論理の基礎理論
① 社員を会社につなぎとめることを考えます
中小企業にとって、今、一番の問題は何かといえば、人手不足対策だと思います。人手不足対策と聞くと通常はいかに人を集めるかがメインかもしれません。しかし現実は、せっかく採用した新人がすぐに辞めてしまう、長年勤めて重要な役割を務めていた社員が引き抜かれて辞めてしまう、こういう深刻な事態になっているのです。
今回は、人手不足対策のうち離職対策、すなわち社員をいかに会社につなぎとめるかについて検討していきたいと思います。
② ハローワークのアンケート結果より・・・
ハローワークは新卒募集を行っていますが、その企業に採用後のアンケートを行っています。その結果は「学卒就職者の離職状況調査結果」インターネットで公開されております。そこで注目したいのは、職場定着の具体的取り組みです。
アンケート結果から読み取れる中で重要なことは、どの企業も社員とのコミュニケーションをあの手この手でとろうとしていることです。コミュニケーションをとることは当たり前と思うかもしれませんが、アンケート結果にこれが出てくるということは、重要であると同時に、意外とそれができていないということを意味しているのではないでしょうか。やはり意識的にやろうとしないとできないのです。
今回は、どのようにコミュニケーションをとるかについて、人間の言葉に対する発想の転換を通じて、経営者の方に一つのヒントを与えることを目的とするものです。
③ コミュニケーションに不可欠なのは言葉と論理です
そもそもなぜ多くの会社が社員とコミュニケーションをとろうとするのでしょうか。それは社員の心を読み取り、会社に愛着を持つように誘導していくためです。それが離職を防ぐことにつながるのです。社員の仕事に対する考えをいかに把握するか、いかにコミュニケーションが良くとれるようにするか、こういうことになってくるのです。
では経営者は社員とどのようにコミュニケーションをとればいいのか、これが今日のセミナーの一番の主題です。
言うまでもなく、コミュニケーションは言葉と論理を使って行います。では言葉と論理をどのように使えばより良いコミュニケーションが取れるのでしょうか。
その答えを導くには、言葉とは何か、論理とは何か、言葉と論理の本質にさかのぼった思考が必要となります。
④ 人はなぜ言葉を発するのでしょうか?
まず言葉とは何かということから考えていきましょう。
私がいつも投げかける問いが、人はなぜ言葉を発するのかということです。
第1の答えが、言葉は生きるための手段だという考え方でしょう。子供が「お菓子を食べたい」と親に訴える、お店で「パンをください」と店員に言う、これらは食欲を満たす手段・道具としての言葉です。これは極めて常識的な答えであり、否定することはできません。
第2の答えは、言葉は単なる手段ではなく、言葉を発すること自体が生きる目的だというものです。私達は他者に言葉を発するために日々働いて、食事をし、活力を得ているのだとも言えるのです。
⑤ 生きる目的としての言葉から考えましょう
人間は誰もが他者に対して言葉と論理を投げかけ、他者と意味を共有しようとする、他者に拡がる主体的な存在です。この1週間、あるいは24時間でも構いません、自分が実際に誰にどのような言葉をかけたか思い出してみてください。自分のサラリーマン時代を思い出してみても職場で会話するだけでなくたまたま廊下であった友人といろいろな話をしたりするわけです。言葉は生きるための手段としてあるだけではありません。言葉を発するのが生きる目的なのです。
とにかく人間は他者としゃべりたいのです。そして、他者に注目してもらいたいから、あるいはより多くの他者と意味を共有したいから、最初の言葉はどうしても誰かしらの注目を引くため間口を広くする必要があり、多義的な曖昧なものになりがちです。ここに意味とは言葉に対する主体の把握の仕方です。実は、言葉は本来曖昧なものなのです。この曖昧な言葉と言葉をつなぐのが次に解説する論理です。
⑥ では「論理」とは何でしょうか?
論理とは考え方の筋道であり、思考の法則のことです。簡単に言えば、前提と結論のつながりです。前提から結論を推理すること、論理とは推論なのです。
なぜ論理が必要なのでしょう。言葉が曖昧であることはある言葉と他の言葉を結び付けると露呈します。例えば人間という言葉です。ある人が人間は動物であるといいました。一方ある人は人間は動物ではないといいました。この二つは矛盾しています。人間という言葉に対する思い入れが一方は生物であり一方は理性的存在者であるという思いであるため、それが動物という言葉と結びつくと暴露されるのです。
このように論理は本来曖昧なものである言葉を整理し、思考のズレを解消するものですが、論理を用いずに、曖昧な言葉だけでも相手と意味を共有したと思い込み、満足することも可能なのです。実は、これが日常なのです。しかしこれでは事実誤認の危険があります。
このことは、特に組織での意思決定では、さらに大きな問題が生じます。例えば社内会議などで当たり障りのない曖昧な言葉の結論で皆が納得してしまい、何ら具体的な方策が出てこなかったり、誤った判断を下す可能性があるからです。例えば、「フォローを強化する」「コミュニケーションを密にする」とかです。企業研修で論理思考、ロジカルシンキング研修とか問題解決研修などが盛んにおこなわれていますが、その理由はここにあるのです。
⑦ 思考の原理と論理の目的
さて、せっかくですので、ここでほんの少しだけ伝統的な論理学をもとにして、論理とはどのようなものかを少しお話ししてみたいと思います。
まず思考の原理といったものがあります。同一律、矛盾律、排中律です。
同一律は「いかなるものもそれがAならばAである」という原理です。矛盾律は「いかなるものもAかつ非Aであることはできない」と表現されます。排中律は「いかなるものもAであるか、または非Aである」と表現されています。
この中で一番重要なのは矛盾律です。なぜなら、そもそも言葉、論理は他者との意味の共有を目指すところ、矛盾とは意味が理解できない状態のことであり、それを避けようとするのが矛盾律だからです。アリストテレスも何人も同じものがありかつあらぬと信じることは不可能であると言っています。
⑧ 演繹推理と蓋然的推理(帰納推理)
次に推理ですが、前提から結論を導く論理は大きく二つに分かれます。
一つは、前提のみから、別の根拠を用いること無しに結論が必然的に導かれる「演繹推理」で、前提となる言葉に結論が含まれているものです。三段論法はこの代表的なもので、よくある例が、①全ての人間はいつか死ぬ、②ソクラテスは人間である、③ゆえにソクラテスはいつか死ぬ、です。ソクラテスがいつか死ぬという結論は、ソクラテスをも含めた全ての人間はいつか死ぬという、前提となる言葉に含まれているわけです。
もう一つは、前提は結論の若干の根拠となりますが決定的なものではなく、結論はある程度確からしい「蓋然的推理」と呼ばれるものです。蓋然性とは、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、100%確実ではないが“確からしい”ということです。例えば昨日あそこのパン屋で買ったパンはおいしかったから、今日もあそこのパン屋で買えばおいしいだろう、といったものです。
帰納法は蓋然的推理の一種で、複数の個々の事実から普遍的命題を推定するものです。スワンとは白鳥のことですが、このスワンも白い、あのスワンも白い、したがって全てのスワンは白い(普遍的原理)。ところが黒いスワンがいたわけです。帰納法は100%確実ではなく、あくまでも蓋然的推理なのです。
私たちは蓋然的推理をもとに推測や仮説を立て、その推測や仮説から演繹推理によって結論を導き出して事実によりこれを検証します。科学的思考も同様です。演繹推理では前提が正しければ結論は100%正しいので、結論が検証されることは蓋然的推理である推測や仮設の確実性が増すことを意味します。また、推測や仮設を裏付ける事実が多ければ、結論の確実性が増します。
⑨ 常に他者に言葉・論理を投げかけて意味を共有しようとするのが人間
さて、今回の主題である、人の心をいかに読み、誘導していくか、この話に移りたいと思います。
ここで最も重要な働きをするのが、先ほど申し上げた、人間は常に言葉と論理によってより多くの他者と意味を共有しようとする、他者に拡がる主体的な存在だということです。言葉は生きるための手段でなく生きる目的であるという発想です。人は言葉を発したくてしょうがないのです。そして言葉を発した相手が振り向いてくれなければなりません。曖昧な言葉でより多くの他者の注目を集め、その後、他の言葉と結びつけ論理的に自分が他者と共有したい意味を提示します。この他者との意味の共有が実現したことによって、自分が生きているということを確証するのです。
⑩ その人の話を聞いて理解してあげることがあらゆる現場で最も重要な課題
そこで一番大事なことがわかります。人はもともと他者に言葉と論理を投げかけて他者と意味を共有しようとするために生きているのですから、その人に注目し、その人の話を聞いて、その人が言わんとしている意味を理解してあげること、これが一番大事なのです。理解してあげるとその人はとても気持ちがよくなり、快感を覚えるのです。そしてその人の本心を話し始めます。ここにコミュニケーションが大事だという全てがあります。
企業の労務管理の現場でも、契約獲得の営業の現場でも、さらには円満な家庭を築くためにも、人の話を聞いて、その人が言わんとしている意味を理解してあげることが最も重要な課題なのです。
言葉を発すること自体が生きる目的であるという発想は、企業という組織での労務管理でも極めて大きな意味を持ちます。
⑪ 企業(会社)とは? 社会の分類について
これから企業の労務管理に絞って考えていきましょう。
そもそも企業、会社とは何でしょうか。これを考えるときは、社会を分類するとわかりやすいです。社会とは人の集まりですが、企業と個人の関係を考えるときは、社会を目的社会と全体社会に分類するとわかりやすいです。人がどのように集まったかということから分類するものです。
目的社会とはある共同の目的関心に基づいて作られる社会的統一体のことです。社会学ではアソシエーションと呼ばれています。
全体社会とは、一定の地域を持って限られ自ら一集団をなすと意識され、内部に様々な社会的結合関係を包括する社会のことです。コミュニティと言われるものです。自足可能な地域社会といってもよいでしょう。村落共同体から国土に画された地域、さらにはワールドコミュニティも存在します。
⑫ 企業を構成する個々の人間の目的
企業は目的社会です。人間はみな寄り集まって、目的社会を作ります。実はこれ言葉と論理を発するためだと理解することができるのです。
企業の目的は、利益の追求、顧客の創造、様々な表現が可能だと思われます。
では企業を構成する個々の人間の目的は何でしょうか。
企業で働くということは、生計を維持するためといったイメージが強いですが、実は、他者に言葉と論理を投げかけることを目的として企業に参加するといった側面があるのです。
企業で働くことは、目的社会である企業という組織での仕事を通じて、言葉と論理を他者に投げかけ続け、自分が生きているということを確証する営みでもあるのです。
ここで、組織という言葉が出たので一応定義しておきましょう。組織とは、二人以上の意識的に調整された人間の活動や諸力の体系です(バーナード「経営者の役割」)。目的社会だから目的達成のために秩序が必要とされ調整される必要があるわけです。
⑬ 「分割の論理」と「創造の論理」
では、企業という組織で働く人はどのような言葉に注目するのでしょうか。言い換えれば、その人は何に価値を見出しているのでしょうか。人を誘導するには、その人がどのような論理で他者の注目を得るかが重要になってきます。
ここで、提案したいのが分割の論理と創造の論理という二つの軸です。
「分割の論理」とは、全体から出発する論理で、全体の中のどの位置にあるかにより他者の注目を得るものです。出発点である全体それ自体に大きな価値を置き、その全体の中で自分あるいは対象がどの位置にあるか、その地位の価値の高低によって他者の注目を得る論理です。
これに対し、「創造の論理」とは、個から出発する論理で、何を行ったか、何を作り上げたかによって他者の注目を得る論理です。個々の行為に意味を認め、行為に大きな価値を置き、その行為の成果である作り上げたものを評価する立場です。行為以前の出発点の価値はゼロです。いかに努力したか、どのような成果を上げたかを他者の注目を得るための価値の評価基準とします。
⑭ では、価値とは何でしょうか?
ここで、全体の価値、行為の価値といったことを詳しく検討する前に、そもそも価値とは何かを考えてみましょう。
「価値」とは誰もが求めるものであって、高低・大小といった比較がその本質にあるものです。「善」も誰もが求めるものですが、善であるか否か、善か悪かであって、比較がその本質ではありません。これらはある意味形式的定義ですね。
価値には大小・高低があり、人間はより大きな、より高い価値を目指す存在なのです。日常の困難を乗り越えるため、より高い価値を目指すのが人間です。
⑮ 分割の論理の前提としての「全体の価値」
では、分割の論理の前提となる全体の価値とはどういうことなのでしょうか。
「全体の価値」とは、組織を維持するために、組織全体に大きな価値を置くことを意味します。
全ての組織には全体の価値が不可欠です。なぜなら、組織の秩序を乱そうとする誘惑や衝動を乗り越えるためのより高い価値が必要とされるからです。秩序を構成する諸個人が一定の同じ方向へ向くために必要となるより大きな価値、これが全体の価値です。
全体の価値があるからこそ、人々は一定の方向に目を向けます。なぜなら価値は誰もが求めるものであり、可測性があるものだからです。全体の価値は秩序を乱そうとする誘惑や衝動を打ち消す、より高い、より大きな価値を持つのです。
⑯ 「全体の価値」と組織の指揮命令系統
全体の価値は組織における指揮命令系統を正当化する機能があります。
企業という組織には、企業の目的を実現するため秩序が必要です。秩序を維持するため下位者は上位者の指揮命令に従わなければなりません。そこには当然反発も予想されます。
その企業がどのような価値観によって全体の価値が維持されているかは、非常に重要となります。なぜなら、指揮命令系統から逸脱しようとする組織の構成員の衝動が全体の価値に吸収されることにより、組織の構成員が一定の方向に向き、組織がまとまっていくからです。
⑰ 分割の論理は全体の価値の中での地位を論拠とします
全体の価値は組織の構成員の誰もが注目します。そして、その結果、全体の価値と自分がどのようなつながりがあるかによって他者の注目を得る、具体的な代表的な例としては組織の中の指揮命令系統を維持する役割を担う人間の地位が大きな価値を持ってくることになるのです。
組織がまとまるための全体の価値が上下の地位役割の体系によって分割され、もともと全体の価値は組織の構成員なら誰もが注目するものなので、それを分割した部分的な地位役割も、当然、他者から注目されるものとなるわけです。
上下の地位役割の体系の中でより高い地位に就くことにより、他者に対して言葉と論理を投げかけて他者の注目を得て、他者との意味の共有を実現するのが「分割の論理」です。
⑱ 創造の論理の典型としての「商品の価値」
創造の論理は、行為の出発点の価値はゼロであり、行為そのものに価値を置く論理です。その行為はどのような意味があるか、その行為が何を産み出したかに価値基準を置くのです。
企業という組織の中で働くこと、すなわち労働は、幾多の困難を乗り越えていかなくてはなりません。それを乗り越える活力の源となる理念が創造の論理の意味するものであり、その典型が労働の成果である商品の価値なのです。
商品の価値は商品交換、すなわち売られることによって実現され、価格で表現されます。社員の賃金も価格で表現され、商品の価値とその本質は同じなのです。
⑲ 商品の価値は労働である
幾多の困難を乗り越える労働のもととなる活力が創造の論理に基づくのであり、その成果が商品の価値であるならば、商品の価値は労働であると言えます。
18世紀イギリスの経済学者アダム・スミスは、あらゆるものの実質価格は、それを獲得するための労苦骨折りであると断じました。商品を生産する際の様々な困難を乗り越えるために、より大きな価値を、創造する商品の中に求めたものと私は理解しています。この発想自体は現代社会でも多くの人が共感できるのではないでしょうか。私自身社労士の営業の時に実感しました。「努力は裏切らない」という言葉です。
実は、この労働価値説は、マルクスが資本論で主張した抽象的人間労働という概念を通じて、現在の労働基準法の労働時間法制に影響を与えているのです。商品価値は労働時間によるという発想です。
⑳ 創造の論理は努力と結果を重視します
創造の論理は、商品の価値をその典型とするもので、その人がいかに努力をしてどのような結果を出したかを重視します。言い換えれば、その人の行動の努力と成果を根拠にして、他者に言葉を投げかけて他者の注目を得て、他者との意味の共有を実現するのが「創造の論理」です。
したがって、日々日常の労働の意味と、その労働の成果が重要になります。
企業という組織で働く人間は、労働の意味と労働の成果を論拠とした創造の論理を他者に向かって投げ続けているのです。
㉑ 組織を構成する人の思考は、分割の論理と創造の論理の二つの軸で把握すべき
目的社会である企業という組織の中では、人は二つの軸、分割の論理と創造の論理を組み合わせた言葉と論理を投げかけ、他者の注目を得て、自分が投げかけた言葉の意味を他者と共有しようとします。
まず、組織にいる以上必ず自分の行為の出発点である組織内の自分の地位を人は意識します(分割の論理)。組織の中の自分はどのような地位にあり、他者にどのように注目されているかを意識するのです。静的な概念です。
そして、組織で行為する、言い換えれば働く際は、必ずその困難を乗り越える価値を行為と結果に求めます(創造の論理)。代表的なものは賃金ですが、それ以外にも自分の仕事に意味を見出そうとするのが人間です。動的な概念です。
ではこれから分割の論理と創造の論理の二つの軸を使って、具体な誘導策を考えていきましょう。
第2部 実践的労務管理手法
㉒ 企業という組織内で社員が言葉と論理を他者に投げかける場を設定する
企業で人が働くのは、生計を立てるということが最も重要な理由・目的となりますが、決してそれだけでなく、他者に言葉と論理を投げかけて他者と意味を共有し、生きる確証を得ることも極めて重要な目的となっているのです。
したがって、企業という組織内で、社員が言葉と論理を他者に投げかける場を設定することが全ての誘導策の大前提となるのです。
職場での会話、上司と部下のやり取り、会議、朝礼、ミーティング、様々な具体的な場が考えられます。
冒頭のアンケートで、どの企業も新入社員とのコミュニケーションが大事だと考える理由の根源はここにあるのです。
㉓ 日々の業務の中で指示する個々の職務の意味を伝える
では管理職・上司と部下との関係から見ていきましょう。企業で働く人間にとって、「自分がやっている仕事はこういう意味がある」と認識することは極めて重要です。なぜなら、その意味が仕事の困難を乗り越える価値となると同時に、仕事の意味を根拠に他者に言葉と論理を投げ掛けてその意味を共有して生きている確証を得るのが人間だからです。
したがって、職務の遂行を指示するときは、その職務がどういう意味があるか、言い換えれば会社全体の組織と業務にとってどういう役割・機能があるか、社内の立ち位置とより良い商品との関連性を必ず伝えるべきなのです。分割の論理と創造の論理の二つの方向を意識して仕事の意味を伝えるわけです。このような、日常の地道な管理者の行為が、社員の会社への愛着を深めていくのです。
㉔ 会社と社員自身の一体感・同一視を実現し、会社を主体とする創造の論理を形成する
ところで、社内の地位を根拠とする分割の論理の設定は、少人数の会社では実現困難と思う方も多いかもしれません。しかし、人数の少ない会社は、個々の社員が自分と所属する会社を同一視し、自分と会社が一体となり、会社を主体とする創造の論理を構築して、会社の外にその創造の論理を投げかけることができるのです。
では、社員が自分と所属する会社とを同一視し、会社と一体となるにはどうすればよいのでしょうか。
そのためには会社にいることが居心地よくならねばなりません。したがって、労働条件を良くすることが第一の課題となります。この場合の労働条件は、職場の物理的環境、人間関係その他あらゆるものを含むものです。具体的には就業規則を整備すること等が課題となります。私が作成する就業規則の服務規律は4つの面に分けています。職務に専念する義務、職場環境を維持する義務、会社財産を維持する義務、会社の信用を維持する義務です。
第二に、社員が会社に愛着を持つような経営理念の構築が、会社と社員の一体感を増強することに大きな意味があります。
㉕ 経営理念はどうあるべきか
社員が会社に愛着を持つような経営理念はどのようなものなのでしょうか。
経営理念は、会社の経営方針を述べたもので、経営者が自由に作るべきものですが、労務管理上二つの側面があると思います。
一つは会社の全体の価値を補強する側面で、社員の会社への帰属意識を強める機能があります。例えば、“会社は社員の人生と一体である”これは実例です。“社員の幸せはお客様の幸せ”、こういう表現が代表的です。
もう一つは、会社の事業が魅力的である旨を明記して、個々の社員の創造の論理を刺激することにより、社員の会社への愛着を深める側面です。例えば、“世界に誇る技術力で世の中に貢献する”、こういう表現が代表でしょう。
経営理念は経営者が自由に作るべきですが、言葉が浮かんでこないという社長さんには、経営理念集が販売されていますので、それを参考にすることをお勧めします。
㉖ 人事・労務管理の諸制度を分割と創造の二つの論理の軸で基礎づける
経営理念のお話をしたので、具体的な人事労務管理制度についてお話ししたいと思います。昇進管理、賃金管理、人事評価等々、これら人事労務管理の諸制度は、分割と創造の二つの論理の軸から基礎づけることができます。
例えば、昇進管理は分割の論理の典型ですが、決してそれだけではなく、日ごろの努力の成果が評価されたという意味もあります。努力や成果を重んじるのは創造の論理です。
また、賃金管理は創造の論理の典型ですが、生活給や年功を重んじる側面は分割の論理の意味合いが強いのです。
このように分割の論理と創造の論理のどちらにウェイトを置くか、この両者の釣り合いを意識して、社員が会社に愛着を持つように誘導する人事・労務管理の制度を設計・運用することが重要なのです。理想は、この両者の調和を図り、最大限の効果を生むことです。
㉗ 分割の論理の根拠となるのは、昇進だけではない ~業務の役割分担の重要性~
分割の論理の典型は、課長や部長への昇進でしょう。会社の全体の価値を前提としたより上位の地位は誰もが注目し、その人が発する論理の意味を社内の多くの人達に共有させることができるからです。
しかし分割の論理を実現するのはそれだけではありません。例えば、誰もが注目する役割を分担することが考えられます。代表的なのが新規の事業を担当させることです。新規事業は誰もが注目し、会社の利益、すなわち全体の価値と直結するので、その人が発する論理の意味を誰もが共有するからです。これは実際にあった事例です。
このように、個々の社員の業務の役割分担をどのように定めるか、これは会社に愛着を持つよう誘導する強力な管理手法であり、経営者の腕の見せ所なのです。
㉘ 新入社員と分割の論理
また、新入社員(新卒・中途)にとっても分割の論理、すなわち会社での地位は無視できません。
新入社員にとって自分の会社での位置づけは極めて重要です。なぜなら、新入社員は新しい職場で不安極まりない状態になっており、自分の会社での居場所を求め、心を落ち着かせたいからです。したがって、物理的に居場所を確保することはもちろん、安心して働くことのできる立場にあることを説明し、理解してもらう必要があるのです。
このように、個々の従業員の立場が、会社全体の価値とどのように結び付くかは、人事労務管理上、極めて大きな意味を持つのです。
㉙ 賃金制度の活用法
賃金は労働の対価であり、労働という行為に価値を置く創造の論理の根拠となる典型的な労務管理の制度です。しかしながら、実際に構築した賃金制度の特徴に応じて、分割の論理の根拠ともなり得ます。この二つの論理の軸の組み合わせで、社員が会社に愛着を持つように誘導することが可能となるのです。
まず、安定した賃金を払うということが大前提です。ここに安定とは、賃金の額の決定の基準を客観的な確固たるものにするということです。社長の気分によって変動するなどは論外です。
賃金の額の決定基準については、原則的に契約自由の原則が該当し、経営者が様々な工夫を凝らすことができます。もちろん労働基準法の規定に反しないことが前提となります。毎月一回以上払い、一定期日払いの原則等です。
㉚ 年功序列賃金・年功序列制
年功序列賃金は分割の論理の意味合いが強くなります。組織に所属した年数によって自動的に賃金が上昇していくのは、行為よりも全体の中での地位に価値を置くものだからです。年功序列は組織への帰属意識を強め、全体の価値を補強して会社との一体感を増大させる機能があります。
また、年功序列制は、職務の伝達という機能もあります。その会社の仕事を覚えるにはどうしても時間がかかるので、一定期間の年功は仕事の能力と比例するとともに、後輩への円滑な職務の伝達を可能とするのです。
ただ、年功序列賃金は仕事の成果を重んずる創造の論理の価値観に著しく反する性格を持ちます。会社の魅力を減ずる危険性が大きいのです。したがって、制度化する際は、年功の年数を限る等、ある程度枠をはめることが必要でしょう。
㉛ 歩合給の活用
歩合給とは、出来高や成績に応じて支払われる給与のことです。給与の額の決定基準は契約自由の原則があてはまるので、歩合給も労働基準法等に違反しない限り経営者が自由に制度化できるのが原則です。実務的には、成果が全く無い月でも最低賃金をクリアし、みなし労働時間制に該当しない場合は時間外割増賃金をきちんと支払えばよいのです。
このように歩合給は自由に設計できるので、社員の創造の論理を満たす歩合給制度を設計し、会社の居心地がよくなるように誘導することが可能な典型的な制度です。
ただ、歩合給を徹底しすぎると、個人請負い事業主と変わらなくなり、全体の価値が減少して分割の論理の要素が少なくなり、会社への帰属意識が無くなってしまう危険性があります。
㉜ 定額時間外手当(固定残業代)の活用
定額時間外手当は、事務処理の軽減や経費削減の趣旨で実施しようとする事業主が多いかもしれません。もちろんこれはこれで良いことだと思います。
実は、定額時間外手当は、時間外労働をしなくても時間外手当をもらえる制度なので、個々の社員の創造の論理を刺激して生産性をアップさせる制度でもあるのです。
創造の論理は仕事を効率的に行うことにより他者の注目を集めるという側面もあります。だらだら仕事をやることは価値が低いという発想です。
さらに、時季によって業務量に変動がある場合に、変形労働時間制と同様に、定額時間外手当は賃金の額の安定を実現し会社への帰属意識も高めることができる制度でもあります。分割の論理の前提としての全体の価値を形成する制度でもあるのです。
㉝ 定額時間外手当(固定残業代)の要件
定額時間外手当は「労働者に対して実際に支払われた割増賃金が法所定の計算による割増賃金を下回らない場合には、法第37条の違反とはならない」という昭和24年の通達を根拠に認められているものです。多く払う分には違法ではないということです。
したがって、定額時間外手当が、①当事者間において割増賃金の対価として支払われる合意があること、②基本給等通常の労働時間の賃金にあたる部分と区分されていること、③法所定の計算方法による時間外手当がそれを上回る場合には差額を支払うこと、を満たす必要があります。昨年最高裁の新しい判決が出て、判例の要件は緩やかになる傾向があるようです。
なお、定額時間外手当は、月給に限らず日給制でも認められます。歩合給でも可能です。
㉞ 助成金の活用(1)
助成金は、国や自治体の労働政策を実現するために、労働者と使用者の望ましい関係等を金銭で誘導するものです。
単にお金をもらうのではなく、制度がその企業の社員にとってどのような意味があるのかを意識させ、会社への愛着を増大させれば、一石二鳥の効果がある制度です。
例えばキャリアアップ助成金では、契約社員を正社員に転換する場合、分割の論理と創造の論理の二つを増大させる効果があります。正社員になるということは、昇格であり、分割の論理の典型です。また、契約社員の間の業績を評価されて正社員になるわけですから、創造の論理の典型でもあるのです。
㉞ 助成金の活用(2)
65歳以上へ定年を引き上げると助成金がもらえるのが65歳超雇用推進助成金です。人手不足対策の直接的で最も有力な手段が高齢者の活用です。長く働けるということは、分割の論理の前提となる会社への帰属意識を増大させる効果があります。特に中小企業は、大企業と異なり、ポスト不足などの問題が少ないので、積極的に定年を引き上げてもよいのではないでしょうか。
1級建築士など資格を取得するために学校に通う場合に助成金がもらえるのが、人材開発支援助成金です。資格は個人の財産ですから、その取得について会社が支援してくれることは、会社への愛着が増し、離職を防止する多大な効果があります。もちろん、当該社員が資格取得によって周囲から注目されることは、分割の論理を形成することでもあります。
㊱ 高年齢雇用継続給付の活用
60歳の定年を迎えたが、有能な従業員にもうしばらく会社に残って頑張ってもらいたい、しかし人件費は今までのように払えない、こういう時に活用できるのが、雇用保険の高年齢雇用継続給付です。もちろん、企業は定年後も65歳までは雇用する義務がありますので、その場合も活用できます。
高年齢雇用継続基本給付金は、賃金の額が現役時代の75%未満に低下した場合に支給されます。支給額は低下率が増すに従って増えますが、61%以下になった場合は支給対象月の賃金の一律15%となります。
㊲ まとめに代えて
中小企業の経営者の仕事は極めて忙しく、責任重大で、確固たる強い意志に基づかなければ業務の遂行は困難です。しかし中小企業の経営者のお考えは千差万別で、あらかじめ定まったノウハウは存在せず、それぞれの経営者がそれぞれの信念で行っているというのが、社労士の実務を通した私の印象です。
今回の、言葉と論理を活用した労務管理の手法は、それぞれの経営者ご自身の信念に加える新たな視点として理解していただければと思います。言葉と論理の本質に基くこの新たな発想をぜひ活用していただき、現在の人手不足時代という難局を乗り越え、貴社を益々発展させていただければと考えております。