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「拡がりの確証」と組織文化の本質
和田徹也
目次
1 問題提起 2 拡がりの確証 3 他者への拡がりの確証 4 人間社会の類型
5 組織における拡がりの確証 6 継続的な組織(企業)における拡がりの確証
7 異質な組織文化の源 8 組織の活性化へ向けて
参考文献
1.問題提起
転職して複数の企業で働いたことのある方は、同じ業界なのになぜこうも社員の考え方が違うのだろうかと感じたことがあると思います。もちろん、異なった業界に転職した場合は、その業界独自の雰囲気というものに驚くこともあるでしょう。ただ、同じ業界でも個々の企業ごとに考え方や仕事のやり方が大きく違う場合が多いことも事実なのです。
このようにそれぞれの企業には様々な組織文化があります。組織文化は、組織を構成する人々の間で共有される価値や信念、習慣化された行動から成り立っています。組織は複数の人間から成る、このことは世界共通の事実です。しかし、組織文化はそれぞれの組織によって大きく異なる、というのが様々な組織に所属した私自身の経験からの結論でもあります。
組織文化はなぜ大きく異なるのでしょうか。組織文化を、個々の主体的な人間、すなわち「拡がる自我」から考察し、その本質を少しでも明らかにしていきたいと思います。そして、その考察の中で、組織の活性化など、現実の課題に対する解決のヒントも提供できたらと考えています。しばらくは、少し抽象的な話になりますが、ご容赦ください。
2.拡がりの確証
私は、社会と組織を考えるにあたり、その出発点を「拡がる自我」におきました。意志意欲を持つ生の発現としての性格を有する、理性的な主体としての個人を「拡がる自我」と表現したのでした(「拡がる自我」参照)。
さて、拡がる自我は、拡がりの中に対象を見出すことから拡がりを意識し、自我として確立されたわけです。そして、この拡がる自我の意志意欲は目的を持ちます。なぜなら、対象に着目することは、そこに何らかの意味を見出そうとすることだからです。意味を見出そうとすることは目的があるということです。例えば店頭のケーキでも、目の前の机でも、その対象が自分にとってどういう意味を持っているかを見出そうとするのです。このケーキは美味しそうだから買って食べようとか、その机で本を読もうとか思うわけです。意志意欲という主体的な拡がる自我が、その対象物に意味を見出すという目的を達成したことにより拡がりが確認されるわけです。
このことは、対象が人であっても同じです。自分の子供、親、店の店員さん、その人が自分にとってどういう存在か、どういう意味があるか意識します。愛情の対象、ケーキを得るために声をかける対象、人も様々な意味を持ちます。意味を見出すという目的を達成することにより他者への拡がりが確認されるのです。
さて、このように対象に意味を見出すことにより拡がりを確認することを、私は「拡がりの確証」と表現しようと思います。確証というと言葉は硬いですが、要するに、生きる証を求めること、生きることを実感するということです。ただ、実感というと曖昧なイメージとなってしまいます。「確証」は様々なパターンがあり、後で述べるとおり論理的なものなのです。特に他者に拡がりの確証を求める場合は複雑なので、確証という言葉を選択したのです。
そして、拡がる自我は、より多くの対象に、より多くの他者に拡がりの確証を求めていきます。それが生きるということであり、生きる証を求めることなのです。生きている、ということを主体性も含めて表現するため、「拡がりの確証」と表現したのです。
3.他者への拡がりの確証
さて、物への拡がりの確証は、人間の認識、人間の物質代謝といった問題にも関わるもので、また別の機会に詳論することにしたいと思います。組織文化を論ずるこの論文では、他者への拡がりの確証を中心に考えていくことにします。
先に、私は、理性的自我は他者からの役割期待に応えることから生ずると論じました(「拡がる自我」参照)。拡がりの対象としての他者はこちらの働きかけに対し反応し、行動するのであり、他者が反応するということはこちらも他者に対し何らかの反応を期待していることになります。そして同時に、他者から期待される反応、行動をこちらも行うという相互作用が存在するわけです。この期待される行動が役割というものであり、人は生まれてから他者に役割を期待すると同時に他者からの役割期待に応えて生きてきたわけです。
さて、自分が他者の役割期待に応えることは、その他者を対象として拡がりを確証することとなります。その他者と同一の意味を共有したからです。ここで注意すべきは、同時に自分も他者に何らかの役割を期待していたということです。それは自分が拡がりを確証する論理を設定するということなのです。他者へ向けて論理を設定し、その意味を共有した他者への拡がりを確証するのです。人間、言い換えれば拡がる自我は、拡がりを確証するための論理を様々な方向の他者に拡げているわけです。自分が他者の役割期待に応え、あるいは他者がその論理に合致した反応をすると、拡がりが確証されたことになるわけです。
このように拡がる自我は、拡がりを確証するため他者に対して次々と論理を設定していきます。設定して、他者の反応を得ると同時に自分も役割期待に応えることにより意味を共有し、拡がりを確証するのです。
さて、拡がりを確証する論理は、当然のことながら、単純なものから複雑なものまで様々です。単純なものとは、例えば親子の関係のように、ほとんど理屈抜きの愛情に基づく場合のことです。意味の共有以前に、子供を自分の分身のように思うことが時々あります。
複雑なものとは、例えば、問題解決のための理論を構築し、多数の人達で議論を行い、自分の理論が多数の人に認められ、賞賛を受けたという類のものです。要するに、確証を得るために、意味を共有するための論理のルールがいくつも設定されている場合のことです。また、賞賛とは、数多くの他者が、設定された拡がりの確証の論理の意味を共有し、それが傑出していると表明することです。拡がる自我は、拡がりの確証をより多くの他者に求めようとするのであって、そのために賞賛を得ようとするのです。
内容は全く異なりますが、球技等のスポーツも同様のことが言えるでしょう。集まった個人個人が設定されたルールに則って試合を行い、勝利したものが多くの人達から賞賛されることにより、拡がりを確証するものだからです。
4.人間社会の類型
個々の主体が、他者に出会う度ごとに、新たに拡がりの確証の論理を設定していくことは困難です。現実社会を見れば明らかなとおり、人は生まれてから何らかの社会・組織に必ず所属します。実は、この既存の社会・組織こそ、他者への拡がりの確証を得るための、既存の論理体系となっているのです。
そこで、社会・組織での拡がりの確証を分析する前に、まず、「社会」という概念を簡単に分類整理しておきましょう。
さて、この場合、社会を大きく「全体社会」と「目的社会」に分類すると理解し易いと私は考えます。
全体社会とは、一定の地域をもって限られ自ら一集団をなすと意識し、また内部にほとんど一切の社会的結合関係を包括する社会のことです(高田保馬著「社会学概論」101頁)。マッキーバーのコミュニティもほぼ同じ概念だと考えられます(加藤新平著「法哲学概論」第4章参照)。世界の果てまで拡がる社会関係の無限の連鎖の中に、私達は都市や民族や部族といったより集約的な共同生活の核を見出すことができるのですが、その共同生活の領域が他の領域から区別される場合、コミュニティと呼ぶことができるのです(マッキーバー著「コミュニティ」46頁参照)。例えば、村落共同体や、日本国の領土によって画された社会が該当します。
目的社会とは、同じ目的を持つ個人から成る社会で、マッキーバーのアソシエーションに該当するものです。アソシエーションとは、ある共同の関心を追及するため、あるいは共同の目的に基づいて作られる社会的統一体のことです(マッキーバー前掲書)。全体社会は無数の目的社会を包括するものですが、例えば国家は目的社会に分類されます。
人間は歴史上様々な目的社会を作り続けてきました。そして、今後も作り続けていくでしょう。このことを、私は、個々の主体的な人間、すなわち拡がる自我が、拡がりの確証を求めて、新たな論理体系を次々と作り上げてきたことを意味している、と理解したいのです。目的社会は、その構成員が拡がりの確証のための論理を設定するために作られてきたと解釈したいのです。そして、全体社会の中で、様々な目的社会が、互いに依存し合いながら存続してきたわけです。企業も目的社会の一つです。企業も、それを構成する個々の主体が、拡がりの確証を得るために設立したものであり、他の企業と互いに依存し合って存続してきたのです。
5.組織における拡がりの確証
人間の社会は、全体社会と目的社会に大きく区分され、人々は次から次へと目的社会を作り上げてきたことをみました。そして、目的社会は目的を達成するために組織化されるでしょう。組織とは二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力の体系です。組織は次の3つの要素があるとき、すなわち、①相互に意思を伝達できる人々がおり、②それらの人々が行為を貢献しようとする意欲を持って、③共通目的の達成を目指す時に、成立します。(バーナード「経営者の役割」第6章、第7章参照)(桑田幸太郎他「組織論」第2章参照)。
では、個々の主体的人間、すなわち拡がる自我が拡がりの確証を得ることと、組織とはどのような関係になるのでしょう。
まず、組織の目的は、構成員が共有する、客観的、明確なものであることが必要となります。組織が成立する条件として構成員が目的を共有するには、明確であることが必要だからです(バーナード「経営者の役割」第7章参照)。これに対し、構成員たる個人の目的は組織に対する貢献意欲がある限り、どのようなものにでもなり得るという特徴を持つことです。
例えば、道路をふさいだ岩を偶然通りかかった3人の人達が取り除く作業では、共通の目的は岩を道路から取り除くという明確なものです。3人が協働で作業を行う場合、岩を取り除くことが組織の目的になります。この場合3人が物理的に力を合わせた以上、岩を動かすという目的について意味を共有し、拡がりの確証を得ることができるでしょう。
しかし、それ以外にもこの3人は別の論理を設定し、岩を取り除くという目的を達成することにより、拡がりを確証することが可能です。例えば、市民の義務感から行動を起こす人、彼女の気を引きたい人、周りの人に自分の腕力を誇りたい人と、いろいろな論理が個々人にとって設定可能です。その一つ一つの異なる確証のための論理が、岩を取り除くことにより達成され、個々人は拡がりの確証を得ることができるのです。
この中で、例として、市民の義務感から岩を取り除こうとした人を考えてみましょう。この人は日常生活を送るにあたり、市民は公共の利益のために奉仕すべきだとの理想を抱いているものと考えられます。この理想は、言い換えれば、他者に対する拡がりの確証の論理を設定したことになるわけです。他者もこの論理を正しいと認めるだろうと信じたことを意味するのです。結果、岩を取り除くことにより、周りの人から賞賛を受ければ言うまでもなく、周りに人がいなくても、他者に対する拡がりの確証を得ることができるのです。
6.継続的な組織(企業)における拡がりの確証
それでは、上に述べたような偶然生じた組織ではなく、継続的に存在する組織である企業の場合はどうでしょう。
先に述べたとおり、企業は、それを構成する個人が拡がりの確証を得るために作られた目的社会です。企業の究極の目的は、営利の追求あるいは顧客の創造といろいろ表現されていますが、共通の目的を受け入れた人々が集合して企業を形成しているのです。現代の日本では、学校を卒業すると進学か就職か、就職の場合は企業か役所か、そして企業の場合はどの業種か、等々様々な選択を行って特定の目的社会に所属するのが普通です。その目的社会で拡がりの確証を得ようとするわけです。そして上述のとおり、企業は目的を達成させるために組織化されているのです。
それでは、ここで売り上げ増大といった目的をもつ企業を考えてみましょう。普通営利企業であればどの企業も売り上げ増大を目標とするはずです。この場合、組織全体の目的は明確です。売り上げが増大したという客観的な事実が存在すればよいのです。
では、個々の社員の拡がりの確証は企業全体の中でどのような位置づけになるのでしょうか。
先に申し上げましたとおり、明確な目的がなければ組織は成立しません。ところが組織が協働の場であり、分業が不可避的に存する以上、各個人の行為と組織の目的の双方が、事実として完全に一致することはほとんど無くなります。自分の行為の全てが直接売り上げの数字に結びつくわけではありません。この傾向は組織が長期にわたって存続し、大きくなるにしたがって顕著となります。これは組織の本質が協働であること、分業であることから生ずる不可避的な事実なのです。
この場合、企業がそれを構成する社員の拡がりの確証のための社会である以上、各社員は各々独自の拡がりの確証の論理を構築せざるを得ないでしょう。そして、原則として、その確証の論理は自由に設定できるのです。例えば、仕事の成果について確証の論理を設定する場合、成果の評価基準には、あくまで仕事の過程よりも結果を重んずるという基準もある一方、結果も大事だがそれよりその人の努力を評価すべきとの基準もあるのです。また、商品についても、あくまでその場のお客様の反応を重んずるのか、あるいは、お客様が気付かない商品の実質的中身を重視するのかによって、仕事の評価が異なってくるでしょう。このように確証の論理は自由に設定できるため、その内容が大きく異なってくるものなのです。
もっとも、企業の目的と個人の目的との乖離を減少させるための一つの方策として、企業内の分業を専門化と考え、その専門部門の目的と構成員の目的の合致を目指すこともできます。その部門自体の目的は、企業全体の目的に比べ、格段に個人の確証の論理との結びつきが強くなるでしょう。実際、現実の多くの企業ではこのことが重要視され、専門部門ごとに権限が分配され、人事評価も部門単位で行われているはずです。
ただ、ここでも各個人は、所属する専門部門の目的とは別に、自由に確証の論理を形作ることができるのです。組織の目的と個人の行為とが事実として完全に一致しない以上、各個人の拡がりの確証の論理は、企業の目的と論理的つながりがある限り、自由に設定できてしまうのです。
さて、今まで社員の目的が企業の目的とは異なる独自なものだということを強調してまいりました。ところが、反対に次のことも忘れてはならないのです。すなわち、社員は拡がりの確証を得るために企業に所属しているのですが、拡がりが他者への拡がりである以上、常に他者と論理の意味を共有することが必要とされるということです。拡がりの確証の論理は自由に設定できると同時に、それが他者への拡がりの確証である以上、他者との論理の共有が不可欠なのです。
したがいまして、社員の拡がりの確証のための論理は、常に他の社員の同意を求めて設定されることになるのです。独自の確証の論理であっても、その根底には常に他者との論理の意味を共有するという目的が存在しているのです。
7.異質な組織文化の源
以上申し上げたとおり、組織の個々の構成員は、確証のための論理を自由に設定することができると同時に、他の構成員とその論理を共有しようとする存在でもあるのです。そして、組織文化はこの個々の確証の論理の集積に基づくものであると考えられるのです。組織文化が組織によって大きな差が生ずる根拠は、組織を構成する拡がる自我が、拡がりの確証の論理を自由に設定するところにあるのです。そして、確証の論理は他の構成員と共有される必要があることから、個々の構成員の拡がりの確証の論理が集合し、組織全体の風土、文化が形成されているのです。同じ営利の追求といった目的をもつ企業の組織の文化が、個々の企業によって大きく異なる理由はここにあるのです。
ただ、ここで注意すべきことがあります。組織文化が異なるからと言って、その原因を個々の人間が元来バラバラの結果を目指す存在であるからだと考えるべきではないということです。近代市民革命以来、人間は自由であることが強調されてきました。もちろん、それは言うまでもなく正しいことです。ただ、その意味は、人間が本質的に人と異なることをする、バラバラを欲することではありません。先ほど申し上げましたとおり、元来人間は、拡がりの確証の論理をもって、他者と意味を共有しようとする、他者と結び付こうとする存在であると私は考えます。そして、既存の論理では拡がりの確証を得られない場合、あるいはさらに新たな方向で拡がりを確証しようとする時に、以前と異なる確証の論理を構築して他者への拡がりの確証を別途得ようとするのです。拡がりの確証の論理の設定の可能性こそ「自由」と表現されるべきことだと考えたいのです。
さて、現実に企業を構成している個々の構成員の確証の論理は、様々なものに影響を受けます。創業間もない企業であれば、創業者の理念に大きく左右されるでしょう。創業者の理念に基づく確証の論理を築けない人は、その企業を去って行かざるを得ないでしょう。創業者の理念に共鳴する社員からなる企業は、明確な確証の論理を共有し、独自の組織文化を持つと同時に強い団結力を持って難局を乗り越えて行くでしょう。
また、確証の論理は、業界によっても大きく異なってきます。建設業のように安全が重要視される企業と、小売業のように前にいるお客様への対応を重視する企業とでは、個々の構成員の確証の論理も異なってくるでしょう。したがって、当然のことながら、業界ごとに組織文化も異なってくるのです。
8.組織の活性化へ向けて
以上長々と、拡がる自我の確証の論理と組織文化について論じてきました。拡がる自我が拡がりの確証の論理を自由に設定し得るがゆえに、様々な組織文化が生まれていることを論じたわけです。
逆に、このことから、例えば、組織の活性化といった経営上の課題に、拡がりの確証の論理を活用することが可能となるのではないでしょうか。元々、社員、私の表現で言えば拡がる自我は、他者と結び付いて拡がりの確証を得ようとする、積極的な存在なのです。この個々人の意欲をいかに組織の活性化に結びつけるか、その制度作りが重要となるのではないでしょうか。そして、制度を作るときには、確証の論理を考慮し、取り入れることが必要となるのではないでしょうか。
組織の活性化というと、社員のやる気とか、気合とかいうように感情的、情動的なものが重視されているような気がします。もちろんそれも重要ですが、それを引き出すためには、論理的なもの、すなわち、私が申し上げているところの、拡がりの確証の論理といったものも考慮すべきだと思うのです。
その具体的内容については、また改めて論じたいと思います。
参考文献
桑田耕太郎他 「組織論 補訂版」 有斐閣
C.I.バーナード(山本安次郎他訳) 「新訳 経営者の役割」 ダイヤモンド社
高田保馬 「社会学概論」 岩波書店
R.M.マッキーバー(中久郎他訳) 「コミュニティ」 ミネルヴァ書房
加藤新平 「法哲学概論」 有斐閣
G.H.ミード(稲葉三千男他訳) 「精神・自我・社会」 青木書店
M.ハイデッガー(細谷貞雄訳) 「存在と時間」 理想社
2014年7月公表